会社を知る PRODUCT HISTORY プロダクトヒストリー

1963「バルブは中北を使え」造船を変えた製品

バルブは水道の蛇口のように開閉することで、海水や石油などの流体をコントロールする装置。人間の体に例えるなら、血液の流れを調整する心臓の弁のようなもので、まさしく船の中枢となる。
そしてバタフライバルブとはその名の通り、チョウチョの羽根のような弁体が開閉するバルブである。このバタフライバルブにはもともと「止まらない」というイメージがあった。バルブの一番の役割は、中を流れる流体を必ず止めること。その止める部分のゴムがうまく機能せず、剥離してしまいリーク(漏れ)が出ると、海洋汚染や事故につながるリスクが高くなる。そこで挑んだのが、「完全に止まる」バタフライバルブの開発だった。

1963「バルブは中北を使え」造船を変えた製品

鍵を握るのは、開閉部分のゴムの調合と弁体、弁座の構造だった。弁体、弁座を弁棒より偏心させることにより、構造が簡単かつ弁座が容易に交換できる二重偏心型を採用。また、弁座に使用するゴムにも着目し、油に強い中北独自のゴムを生み出した。こうして1963年、完全に止まる「漏れゼロ」のゴムライニング式バタフライバルブの開発に成功した。

それだけでは終わらない。このバタフライバルブは、様々な面で効果を発揮した。その1つが、船の建造工程の短縮である。
タンカーの場合、バタフライバルブは1隻に約200台設置される。以前はゲートバルブが使用されており、非常に大型のため設置は困難を極めていた。
しかし中北が開発したバタフライバルブは、約40%の軽量化・小型化を可能にした。その結果、設計の簡素化、建造工程の短縮につながり、40万トンの大型タンカーが建造できるようになった。

1970 ハード&ソフトの提供を実現 船の中北は総合流体制御システムメーカーに

「バルブ屋で終わるな、バルブに付随するものまでやってしまおう!」
それは創業者、中北辨造の口癖だった。どんなに高品質のバルブを作っても、それを操作できるシステムがなければ意味をなさない。その精神を受け継ぎ、バタフライバルブに続く次の展開として着手したのは、ハードもソフトもトータルに提供する、という取り組みである。
元来、バルブはバルブメーカー、これを動かすアクチュエーターは、駆動部メーカー、信号をバルブに伝える計器関係は計器メーカー、バルブを遠隔操作する遠隔操作機器メーカーと、分業しているケースが多い。お客様にとってはメーカーが分かれているより、1カ所に集約し、安心して任せられるところがあれば効率的だ。そうしたことを背景に、船内のバルブを1カ所で遠隔操作する「バルブリモコン」の開発や計器関係、アクチュエーターの開発に着手。バタフライバルブ開発の7年後の1970年、その製品化に成功した。

さらに1991年にはコンピュータ制御の弁遠隔操作装置、バルブリモコンシステムも開発。
こうして「船の中北」は、「総合流体制御システムメーカー」として、ハードもソフトもトータルに提供できる、世界でも数少ない会社となった。

2003 海から陸へ 発電プラントの安定稼働を支えるバルブ

造船関連のバルブ事業で、圧倒的なシェアを確保することに成功した中北製作所。次に手がけたのは、陸用バルブ=発電プラントにおけるバルブの開発だった。

日本の主な発電方法のひとつである火力発電。熱源で高温高圧の蒸気をつくり、それによりタービン・発電機を駆動して発電する仕組みである。火力発電では、数多くのバルブが使用されており、発電プラントを安定稼働させるためにはバルブが重要な役割を担う。

過酷な条件下での機能確保、綿密な品質保証が徹底的に追求される。これまで築き上げてきた技術に絶対的な自信があった中北製作所。この課題をなんとしても解決すべく挑戦の日々が始まった。試行錯誤をくり返した末、製品の信頼性が認められ、国内すべての電力会社から採用頂けるまでに至った。

海から陸へ。中北製作所は、新たな市場でのシェア獲得に成功した。